8月6日は何があった日ですか?
今から64年前の8月6日、アメリカ軍は人類史上初めて原子爆弾を広島に投下しました。広島市の当時の人口は35万人だったそうですが、そのうち一瞬にして14万人の命が奪われるという空前絶後の残忍な大量破壊兵器です。その爆風は台風の暴風エネルギーのなんと1000倍、爆心地付近の地表温度は3000℃から4000℃にも達したといわれています。このような、形容を絶する恐ろしい兵器が平和な生活を営む市民の上に、何の警告もなしに落とされたのが、ちょうど今日だったのです。そしてこの日から3日後の8月9日、長崎にも原子爆弾が投下され、やはり何も知らされていなかった老若男女74000人が火炎地獄でのたうち回って死んでいったのです。
原子爆弾が人口密集地で、あえて人の殺傷を目的として使用されたのは、人類がこの世に誕生して以来今日まで、この2回だけです! 日本人は、この希少な体験を民族として背負わされたわけですが、どうも近年この歴史そのものが風化され、あるいは意図的に軽視されているような気がしてなりません。
原爆を落とした側のアメリカは、戦後一貫して「戦争を一刻も早く終結させるために原爆投下は必要だった」と正当化し続けています。それは強大な軍事力を保持し続けるという国家戦略上、アメリカ政府には必要なことなのかもしれませんが、どんなに正当化しようとも何十万人の無辜な人々に塗炭の苦しみを与えたという事実は消えません。もちろん、この事実をもっともよく知る日本人がこんな理屈を受け入れる必要はありません。いや、断じて受け入れてはならないのです。
広島の平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」 と刻まれています。過ちを繰り返しませぬの主語、つまり誰が過ちを繰り返しませぬなのかを巡っては当時から様々な議論があります。インドのパール判事のように、「原爆を落としたのは日本人ではない、落としたアメリカ人の手はまだ清められていない」という意見もある一方、「広島市民であるとともに世界市民である我々が過ちを繰り返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通じる広島市民の感情であり良心の叫びである」という、この碑文の揮ごう者で自身も被爆者である雑賀忠義氏の意見もあります。
原爆を投下したのがアメリカ人であり、投下されたのは日本人であるという事実は、未来永劫変わることはありません。しかし、だからと言って原爆投下の責任をアメリカに認めさせようと正面から主張しても、彼らがそれをすんなり受け入れることは現実的には無理なのかもしれません。ではどうすればよいのでしょうか。日本人の古来からの処世術、つまり水に流してしまう、という方法も一つかも知れません。今日の日本政府や世相を見ているとその傾向が強いように感じられます。しかし、他に方法はないのでしょうか。
発想をガラッと変えて、もし欧米人が日本人の立場ならばどうするでしょうか。きっと、この悲惨な事実の理解者を一人でも多く増やし、世界の世論を形成しようとするでしょう。そしてやがてアメリカ人市民の中にもその輪をっじわりじわりと広げていこうとするでしょう。それが成功するかどうかはわかりませんが、何もせずにあっさりと水に流してしまうには、この事実は重すぎるように私には思われます。
そのために、日本の若い世代の一人ひとりが8月6日と9日の原爆投下で、一体人々にどのような苦しみが与えられたのかという事実をきちんと知り、それを自分の言葉できちんと相手に伝えられる語学力と異文化コミュニケーションのスキルをしっかり学んでほしいものだと思います。
高校留学の目的として多くの人は、語学の修得を第一にあげます。それはそれでもちろんいいと思いますが、通訳者になるということを除けば語学はあくまで手段です。その手段の先にどのような目的を抱くか、真の世界平和に貢献しようという大志を抱く人が一人でも多く現れたら、この世はきっと良くなるでしょう。今日8月6日は日本人にとってはもちろんのこと、人類全体にとってもとても大切な日です。高校生のみなさん、楽しく生きることも大切ですが、時には歴史的事実をしっかり見つめ、その意味をじっくりと考えてみてはいかがでしょうか。